みなさんお久しぶりです。
オケを引退して以来すっかりヴィオラ分不足な5回生です。
最近はこのブログも世代交代が進みつつあるようですが、それを破壊するかのごとく登場します。
本当はブログにするつもりはなかったんですが、某筋から是非記事にしてほしいと言われましたのでこれを書くことにしました。
さて、今回はいつもの長々とした前口上は省略して、早速本題の方に移ります。
7月も末に、梅雨明け宣言の出た日からもう幾日も経ちましたが、これはちょうど梅雨入りした頃の話題です。
マングローブ氏とママチャリで琵琶湖を一周してきました。
以下、写真など。
GPSのプロット(アルファベットは各写真に対応) |
心配されていた雨の予報も当たらずなかなか好調なスタート。途中迷ったり逢坂山に早速してやられたりしながらも、7時頃には琵琶湖南端の瀬田川の始まるあたりに着いて旅の始まりを覚悟しました。
出発の朝(A) |
大津市内を北へひた走ります。よく整備された道があって苦もなく走って行けます。「案外余裕なんちゃう?」そう思っていた時代でした。
湖岸を北へ(B) |
琵琶湖大橋を尻目にしばらく行くとなんだか見覚えのあるような所へ出ました。なんだろう、デジャヴュかな?空耳でしょうか。初々しい感じのオーケストラアンサンブルが聞こえた気がしました。
とあるユースホステル(C) |
おっと、ここへも来たことある気がします。折角なので飲み物などの買い出しを行いました。例によって惣菜コーナーではあの中毒性のある販促用の歌が流れています。マングローブさんはもう何年もこの歌に魅せられているそう。なんだか懐かしいような不思議な気持ちになりました。
※この歌、日本惣菜協会の「お惣菜バンザイ!」という曲らしい。気になった君はチェックしてみよう。
とある平和堂(D) |
冗談はさておき。和邇以北はもう完全に未知の世界です。ここまで来ると湖の水もずいぶん綺麗になって澄んできました。
近江舞子の眺め(E) |
さて、そろそろこの旅をすることになったワケをお話しましょうか。しかしその話をするためには3年前に遡らなければなりません。3年前、少年Mはふとした思いつきから一日で反時計回りに琵琶湖を一周することを思い立ちました。いざ出発してみたものの、何分勝手が分かりませんからとりあえず今ある道をどんどん進むしかありません。一人だったということも悪い要素だったでしょうか、休憩もほとんど取らずただひたすらに漕いでいきました。しかしいくら無邪気な少年もさすがに24時間漕ぎ続けたところで心身ともに疲れ果ててしまいました。そこで、泣く泣く乗っていたママチャリを湖西線のどこかの駅駐輪場に捨てたのです。そして電車を使って何とか命からがら京都へ戻ってきたのでした。
それがどこの駅だったのか。疲れで朦朧とする身体ではとても覚えていなかったと語ったMさん。それを聞いて私は琵琶湖を一周したいと強く思うようになりました(突然の飛躍)。そしてついでにその思い出の地を探そうということにしたのです。これが2年前のことでした。
ようやく今回リベンジの機会を得たわけですが、少年Mことマングローブさんの自転車、ちゃんと残っていました。北小松駅。こんなところにワケもなく京都市のシールが貼られたエイリンの自転車が転がっているはずがありません。マングローブさんは3年前の自分に邂逅し、物言わぬママチャリにリベンジを約束をして、我々はさらに北へ急ぐのでした。
奇跡の再会(F) |
北へ北へ北へ!
太公望?(G) |
梅雨空はどこへやら(H) |
今津の松林(I) |
北端を制して満足気(J) |
斜陽(K) |
夕日とマングローブ氏とマングローブ(?) (L) |
一日目を終えて(M) |
出発の朝、長浜城(N) |
10年ぶりの来訪(O) |
西国第三十一番(P) |
THE MANGROVE(Q) |
旅のハイライト(R) |
帰還(S) |
今回得た教訓は「千里の道も一漕ぎから」とにでもしましょうか。
疲れたものの楽しい現実からの逃亡でした。
以上適当なまとめでした。
ヴィオラ分不足は週末に補いに行きます。会った時はよろしく。